平野真理子×坂口剛 特別対談企画(前編)障害を持つ子の親同士が語る、パラスポーツを始めた原点とは?

「平野M’s卓球スクール」チーム監督を務めている平野真理子氏と一般社団法人車いすスポーツ協会の代表理事である坂口剛氏。

両者には共通点がある。それは障害者スポーツをしている子の親である点だ。

平野氏は、東京オリンピック 卓球女子団体の日本代表が内定している平野美宇選手をはじめ、次女の世和選手、三女の亜子選手という卓球選手3姉妹の母である。

車いすスポーツクラブ「ウラテク」を運営する傍ら、フィジカルトレーナーとしても活動しており、車いすテニスをプレーする長男の竜太郎選手をサポートしている。

今回、障害者スポーツをしている子を持つ親の立場から、「それぞれどんなきっかけでパラスポーツを始めたのか」・「障害を持つ子どもたちがスポーツをやる環境を普及させるために必要なことは何か」等インタビュー形式を交えた対談を行った。

今回はその模様を前後編に分けてお送りする。

「亜子も卓球やる!」一生忘れられない光景

坂口:私自身も脊髄損傷を負った息子と一緒に車いすテニスをやっています。息子はパラリンピックで金メダルを獲った国枝慎吾選手に憧れて始めました。亜子さんが卓球を始めたきっかけってどうだったんですか?

平野:親としてはとても嬉しいことなんですけども、最初は「ママと一緒にいたい!」という気持ちからでした。

美宇が小学校4年生の時に初めて国際大会に出場したのですが、ちょうど夏休み家族みんなで美宇を東京まで見送りに行きました。私は美宇に帯同し香港まで行ったのですが、夫と亜子・次女の世和は山梨へ帰りました。

東京という知らない場所に行ってお母さんと離れたのが辛かったみたいで、帰る車中の2時間ずっと泣き叫んでいたんですって。それまで卓球教室や美宇の試合に行く時も全く泣くなんてことなかったんですよ。

そして、2週間後に帰ってきたら亜子が私のところに駆け寄ってきて「ママ!亜子も卓球やる!卓球やってママと一緒に東京に行く!」って言ったんですよ。もうあのシーンは一生忘れないですね。

亜子さんも自らの意思で卓球に挑戦した(左後方が真理子氏)

坂口:もうはっきり卓球と言っていたんですね!僕のところは次男が同じようにテニスをしていますが、そこまで具体的に「テニスがしたい」と言ったことはなかったので。長男がやっているうちに自然と入った感じです。

平野:お兄さんやお姉さんと一緒というのはありますよね。うちでは姉妹3人が卓球をやっていて、親が薦めたって思ってらっしゃる方もいらっしゃるのですが、全員自分で卓球やるって言ったんですよ。美宇も「ママの卓球教室に入れて」と卓球を始めて、世和も「私も卓球センターに一緒に行きたい」と始めました。

坂口:子どもたちの自律心を尊重したんですね。では、亜子さんはどんな障害を持っているのか聞いてもいいでしょうか?

平野:診断時に言われたのは、「広汎性発達障害」。1,2歳の頃から上2人と比べて反応が違うなって思っていたんです。2人は言葉を喋り始めていた頃でもまだ話さない。抱っこした時に目を合わせるのが苦手など気にはなっていたのですが、まだ障害なのか発達が遅いだけなのか判断がつかなかったんです。

3歳の時に階段から落ちて眉の辺りを切ってしまい、傷の手当てに整形外科に行ったんですよ。そしたらお医者さんに「この子障がいありますかね」って言われたんですよ。はっきり意識したのはこの時が初めてでした。

私は支援学校や支援学級に10年ほど勤めていたのですが、「亜子は私が教えた障がいのある子どもたちにちょっと似てるな」って前々から感じていたのもあったので、「ああ、やっぱり」という気持ちでした。

それでも、まさか傷の治療で訪れた整形外科のお医者様から言われるとは思わなかったので、やはりショックは大きかったですね。

坂口:今、高校一年生になったとのことですが、症状は?

平野:やっぱりコミュニケーションが苦手なんですね。小さい頃からそういう部分があったのですが、友達と他愛もない会話をするのが難しいんです。同じ言葉でもニュアンスが違う時ってあるじゃないですか?そこを感じ取って返すのが特に難しいんですよね。

坂口:なるほど。僕の息子は脊髄損傷なので、車いすを使っているんですよ。なので一見して「この子は障害があるんだな」って分かりやすいんですけどその反面、認識されやすいからこその苦労ってあるんですよ。人目が気になるとか。亜子さんの場合、一見わからないからこその苦労ってありますか?

平野:ありますあります!例えば、「ねえねえ」って声かけられる、なんて返事をしていいのかが難しいんですよ。小さい頃から目を合わすのが苦手なのでつい黙って下を向いてしまったり。すぐ返せないので友達からは「あ、亜子ちゃんが無視してる」って誤解されてしまう。

本当は話したくて仕方がないのに、その気持ちが伝わりにくい。また、間違った言葉の使い方をしてしまって表現が冷たいなどと勘違いされてしまうこともありました。

亜子さんの幼少時のエピソードを話す真理子氏

坂口:息子も高校2年生になったんですけども、すぐ見てわかるから指差されたりすることが多くて。遠くからでもそれがわかるので通学していても辛いみたいです。

あとうちの場合は、2歳の時に交通事故でいわゆる中途障害という部類に入るのですが、”ある日突然”だったんですよね。僕の場合受け入れるのに時間が掛かったんですよ。朝と夕方で息子の様子が全く変わってしまっている。真理子さんはその辺はどうでしたか?

平野:ショックはやはり大きかったですよ。言われるその日までは「ちょっと成長が遅いだけだよね」と不安な気持ちを打ち消そうと努めていたので。障害児教育に10年携わっていた身として自分の中では理解があったつもりでした。そんな私でもこんなにショックが大きいのだから、以前担任をしていたお子さんのご家族がどれだけ大変な思いをされてきたかを今になって思い知らされました。

受け入れることも大変だし、そのあとどうやって育てていくか、みなさん悩みながらずっと障がいという現実に向き合ってきたのだと気づかされましたね。

「自分の選んだ方法でやっておいで」亜子さんのやり方を尊重

坂口:亜子さんは小学校6年生の時にジュニアの日本代表に選ばれて海外遠征も行っているんですよね?

平野:はい。でも元々卓球を始めた頃の願いは、苦手なコミュニケーション力が向上して、卓球を通じて亜子の楽しい将来につながればいいなって思っていたんです。卓球は対人スポーツなので、人と関われるし、チームとなれば自然に人の輪ができるので。それは今も同じ想いを持っています。

なので最初は日本代表になんて全く考えていなかったんですよ。強くなって欲しいとか、そんなことも全然。賞状は一生貰えないんじゃないかと思ったくらい(笑)

坂口:何かプレーする上で困ったことはありましたか?息子の場合、胸から下が麻痺している影響で、握力がなかったんです。なので最初はラケットを握ることに苦労したり、バックハンドが全く打てなかったんですよ。

坂口竜太郎選手。猛練習でハンデを乗り越えた。

平野:ありますね。亜子の場合は、障害なのか運動能力なのかは分からないですが、器用なタイプではない。 卓球をやるときも、相手の回転を見極めて、それに対応したラケットの振り方を判断することはきっと苦手だと思ったので、粒高というラバー(打つ面に粒があるラバー)を貼ったラケットを持たせました。

粒高のバックならラリーが続いて楽しかったんでしょうね。気がつくと亜子はどんなボールも全てバックで返すようになりました。普通は、「違うよ、こっちに球が来たらフォアで返そうね」ってフォア側のボールはフォアハンドを使うようにさせると思います。

テニスもそうじゃないですか?もちろんフォアも練習しましたけれども、亜子はバックハンドが9割。私は彼女が飛び跳ねて喜ぶ様子がすごく嬉しくて、その笑顔を大事にしようと思って否定しなかったんです。

でもまぁ結構言われましたよ。「そんなんじゃダメだ」とか「何でフォアをやらせないんだ」とか(笑)

坂口:そんなことも言われるんですね…息子はテニスですけど逆にフォアハンドしか打てなくて、それでも人よりも劣っていました。しかもラケットをしっかり持てなかったので、他の選手たちよりも練習をしないといけなかった。亜子さんも真理子さんと一緒にずっと練習していたんですか?

真理子氏のインタビューを務める坂口剛氏

平野:はい。亜子は基本的には私の卓球スクールでの仲間との練習が中心でした。それにプラスして私と個人的に練習をしました。

フォアの練習もするのですが、試合になると、「普通フォアだろ」って思うところでもバックハンドで打っていました。亜子にとってはそれが一番自信があり、勝利に繋げる方法だったのだろうと思います。

試合は選手のものですから「自分が選んだ方法でやっておいで」といつも送り出しました。決して教科書に載るやり方ではないですが、亜子の笑顔を大事にしました。その結果、日本代表を勝ち取りました!

後編へ続く。

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